攻略記事

桃太郎電鉄(PCエンジン)

思い出

 それまで普及していたボードゲームがファミリーコンピューターの影響で少しずつ電子化され、徐々にその範囲を広げていましたが、PCエンジン発の桃太郎電鉄シリーズは『テーブルゲーム』というジャンル界において十分な活躍をしたタイトルと言えるのではないのでしょうか。
 通称『桃鉄』と呼ばれるタイトルシリーズですが、ドラゴンクエストシリーズやスーパーマリオシリーズのような、発売される度に大きなニュースの素にはならないものの、変わらない演出や誰にでもプレイできる『本来のゲーム』という意味でじわじわとその認知度を広め続けた結果、今ではその存在を知らない人を探すのが難しくなってきているタイトルの一つなのではないのでしょうか?
 …まあ、明らかに大袈裟な表現ですがね。でも、そのくらいにシリーズ化されているんですよ。
 桃太郎電鉄の購入きっかけは、ズバリ、『間違え』でした。
 私の知人に『桃太郎伝説』が大好きな人がいて、遊びに行く度に閻魔大王をやっつける場面を見せつけられていたわけですが、もともと昔話系に大きな関心を持たないでスクスクと育ってしまった私は『桃太郎』という言葉を耳にしても全く関心が湧かず、同じ桃太郎なら『太郎』を削って純粋な『桃』の方がいいや。とか思ってしまう貧しい心の持ち主なんですよね。若しくは一言加えて『桃太郎トマト』。…あれ、本当においしいトマトですね。地方生産なのかな? 知らない人がいたらすいません。
 さて話を戻し、その知人があまりにも桃太郎…というよりは桃太郎伝説の魅力を伝えてくるものですから、そんなに面白いものかと興味とまでは言えないものの、投げ出すノリで中古でも買おうかと思ったのですよ。偶然にも周囲の友人知人間でも他に3~4人ほど同タイトルを所持していた事は知っていましたし、話のネタ作りも兼ねて…。

 近所の中古ソフト店に足を運び、ろくに集中して『桃太郎伝説』という文字を目にしないでそれらしきタイトルを手にレジへ。
 会計時の私は金額の確認よりも周囲の商品などに目を奪われる性格は今も昔も変わらずでして、その時もそうでした。幾つかの商品を購入していたため意外と高値になり驚いた記憶だけが鮮明今も残っていますが、最後まで書き連ねる必要もないように、チョイスを間違えていたのですよね。家で驚きましたよ。

『どうして金太郎や浦島太郎が居る?』

 …と。当時の私は『桃太郎電鉄』の存在を知らなかったため、『桃太郎伝説のパクリ』と思いましたね。やたらとキャラクター再現度の高いパクリ…。
 後に攻略本で知りましたが、ワリと大々的に取り上げられたりしていて、しかも発売1週間もしていなかったとか…。当時の中古屋事情、どーりで定価ギリギリの値段がしたわけです(レシートで知った)。…というか、誰が買ったか知らないけど、発売1週間以内に購入して1週間以内に中古屋走るってどういう事ですかね???

 それでもまぁ、買ってしまったのだから仕方がないと、例の桃太郎伝説好きの友人を含めて複数人数でプレイしましたね。展開の落差が激しいゲームで最下位の相手の様子を気にする私にはあまり向かない内容ですが、スタート直後の一線上の頃は本当に楽しめます。個人的には長く遊べて5年以下の設定ですかね。その辺が極めて平和だと思います。

はなうたBGM

 テーブルゲームに相応しい、のんきというか、のどかというか、そんな感じの曲調が印象に深いですね。とりあえずはプレイ時間の大半を耳にするわけですからインパクトは抑え気味なのがコツなのでしょうか。よく判りませんが、ひたすら耳にしていても飽きないのは確かです。
 個人的には12月のクリスマスに合わせた挿絵と共に流れる短い曲がお気に入りでしたね。いかにもクリスマス、そして雪景色の夜を思わせる曲でしたよ。
 他に印象深いのは…、やはりというか当然というか、びんぼう神のテーマですかね。『ボンビー』というセリフと共に現れるその印象は『また来たか…』という諦めにも似た表現し難い何かです。とりあえず物件の投げ売りだけはやめてください! と、よく願っておりました。

成長なのか、膨張なのか…

 テーブルゲームの良いところはと言えば、誰でも気軽に楽しめる、という所にあるでしょう。高い知識を必要とせず、体力差や年齢差、熟練度を問わず『言葉さえ理解できれば誰でも楽しめる』というのが最大のメリットと思われます。
 故に単純な操作性でありながら、どこまでプレイヤーをゲームにのめり込ませるかが最大のポイントとなるわけですが、桃太郎電鉄は十二分以上にその力を発揮していたのではないでしょうか。
 マップが日本で知識がなくとも形で検討が付く。目的地に対して矢印が記される。物件なんて判らなくとも、とりあえず大切にすれば決算にプラス方向で収益が出る。…と、なんとなくでも進められるものです。
 初めはもたついても何回かプレイするうちに誰を相手にしても対等に渡り合える。それがテーブルゲームの面白みだと思うのですよね。だって勝敗を決めるのはあくまでサイコロですから。…まあ、誤操作もありますけど。
 ところが、これが続編となると、私の中では話がこじれてしまいます。メインとなるゲーム性は変化しませんので基本的概念は全て前作のままとなります。しかし、全ての分野で前作のままとなってしまえば『続編』となる筈もなく、どの辺をいじれば『続編』となるのか…という話になると思います。

 例えば格闘技ゲームであれば、
 新キャラを増やす=技が増える=前作キャラとの相性に変化が出る=『続編じゃん!』

 例えばロールプレイングであれば
 時代を変える=世界はそのまま=文明が発展している=『続編ですわね!』

 …というように、ジャンルが変わればちょっとした思考の変化で同じタイトルでも内容の変化がないまま全く新しいストーリーを展開できるのですが(制作はほぼ1からやり直しに等しいでしょうが)、テーブルゲームはそもそものスタイルが変更できないため、同タイトルの続編の制作となるとなかなか難しいようにも思えますね。結果的に出てくる答えは前作に使用したデータの更新というか強化というか、そういった当たり障りのない分野に収まるように感じます。『桃鉄』で言うところのびんぼう神の強化版や、カードの種類を増やす。また、プレイに差し支えない程度にマップを広げる。と言ったところでしょう。
 前作と比較したちょっとした変化…。2作目3作目といった続編ならまだしも、これが延々と続けばどうなるのでしょう?
 結局は同じ内容のゲームですが、だからと言ってメインシステムを変化してしまえば前作との繋がりが皆無に等しくなる…。テーブルゲーム系のゲームは『続編』のタイトルが非常に少なく感じますが、その辺が最大の問題点だったのかもしれませんね。
 桃鉄Ⅱを友人宅でプレイした際、ふとそんな事を思いました(温泉の挿絵を眺めながら…)。

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