攻略記事

1942(アーケード)

毎度の訪問、ありがとうございます!

このたび『はなうたBGM』の引っ越しをする事になりましたので、下記の興味のある方は下記のURLからどうぞ。

//sueism777.com/memories-retro-game/sincere-thanks/

なお、行き先では『思い出のレトロゲーム』というタイトルになります。

再稼働を開始したばかりなので空白だらけですが、どーにかこーにか頑張ります。

なお、上記URLの本テーマはゲームとは異なり、『思い出のレトロゲーム』はそのテーマの中に存在する一つのカテゴリという扱いですので混同ないよう願います。

思い出

 当時のシューティングゲームにおいて、極めてシンプルかつわかり易いタイトルとして一躍有名になったゲームでしたね。派手なパワーアップなど存在せず、あくまで『強化された』と判る範囲で戦い続ける正統派シューティングと表現すれば良いでしょうか。
 さて、このゲームに関する思い出なんですが、既に『グラディウス』をはじめとした少々派手目のシューティングの味を知ってしまった後に知ったタイトルなので、正直、『やり込む』というようなプレイスタイルで臨んだ覚えはなく、友人宅にて友人がプレイしている後ろから(ファミリーコンピューター版)歌って茶化していましたね。
 当時、どこぞのメーカーのスライスチーズのコマーシャルにてこのタイトルと同じ曲の替え歌がありまして、学校内の一部で流行ったのです。確かトーストピザを作るための具材に合わせて子供が歌っていた記憶がありますが、さすがに覚えていませんね。唯一覚えているのは歌い出しの『ピーマンのせて~♪』くらいなものです。
 なお、アーケード版については20円でプレイできる場所がありましたので、2回だか3回だかプレイした記憶はあります。このゲームを楽しみ、長くプレイし続けるには宙返りの活用が肝になってくると覚えていますが、私の場合は敵や敵弾を避ける筈の宙返りが突撃という名の技に変化してしまうんですよね…。
 そんな理由で相性が少々悪く、好んで近付いた記憶こそ薄いのですが、やはり知名度は高く、プレイ回数のわりには鮮明に覚えているんですよね。
 プレイに関してはあまり乗り気にならない、でも、記憶では随分と長い付き合いのような錯覚を覚える不思議なゲームなのでした。

はなうたBGM

 1942オリジナルの曲なのか、それとも元となる曲がきちんと存在しているのかはわかりませんが、なんだか初めて耳にした時にもどこか知っているような気がしました事をよく覚えています。
 と、そういったBGMなのですが、………ひたすらにその曲が続きます。
 まぁ、時代背景でモノを言えば、この頃のゲーム内に登場する曲はクラシックの短縮バージョンだったり、『BGM』と表現しても果たして良いのか? なんてものも結構あったわけで、1942に知られる単調な曲がひたすら続くゲームは別に珍しいわけでもありませんでした。
 もちろん、ボス専用のBGMも存在していませんし、未確認ですが最終面という存在も無い事でしょう。
 つまり、プレイが続く限り延々と同じ曲がエンドレスで奏でられる訳です。
 そんなわけで、このタイトルに関してはプレイヤーにお気に入りBGMを選択する余地はないのです。覚えている曲、すなわちそれこそがお気に入り曲…といった流れです。完全強制…、何と素晴らしい事か…。

戦況の激変

 既に平和の蔓延が日本を覆い尽くし、今となれば逆に物騒な国へと変貌してしまったのですが、『戦争』という状況はどんな時代でも水面下で行われているものであり、それは現代においても何ら変わりはありません。
 例えば『企業』という立場に留めても常に『ライバル企業』は出現するものであり、負けた側はいつでも廃業に追い詰められてしまいます。『負け』なのです。
 スポーツ業界も何ら変わりなく、どれだけ強い選手が揃ったチームであっても監督の指揮力でその戦力は幾らでも上限を超える事が可能であり、下限を下回る事も珍しくないですね。そこには対するチーム属性や天候、地の利など様々な条件が絡んでくるわけですが、それらを理解できない監督であれば、幾ら過去に輝かしい戦績を収めた任物であっても無力に等しいというお話です。全ての結果は実力が伴うわけで、肩書きは『どこかしらの通過ポイントに必要な道具』であり、あらゆる分野では無力化するものだと私は思います。
 そんな肩書をコレクションのごとく揃えて喜ぶ輩が増えた結果、相手の実力を読む力が衰退し、結果的に無能が有能を動かす時代に突入したのがここ最近と表現しても過言じゃないでしょう。『知識はあるが実際にやった事はない。』特に運営という表現が付く分野においてはこの言葉がモロに浮き上がる場面が多すぎます。
 運営でもスポーツでも指揮する側は常に状況を把握し、局面の細部を逐一コントロールし続ける必要があり、それは決して他人に預ける事は不可能な話です。それが役割であり、庇い切れない分野に分担という言葉があるからです。『時間が無いから信頼できるあいつに任せる』みたいな表現は聞き映こそ宜しいですが、正しい意味に返せば『任せた側の能力不足であり、責任の丸投げ』に他ならないんですよね。面倒なら素直に『めんどくさいからお前に全部やる』と言えばいいんですよ。効果を挙げた戦績だけ自分の利益だなんて虫のいい話です。
 なんか話が企業なんだかスポーツなんだか国なんだかごちゃごちゃになりましたね。すいません、目覚めてすぐなのです…。
 さて、そんな話からスケールをミジンコクラスに下げて『1942』に。
 小学生のとある日、私は母親に連れられて少し離れたスーパーに買い物に赴いていました。
 買い物に…、と言っても用があるのは母親の方で、私は買い物を終えた母親の荷物持ちみたいな役割ですので、レジを通過するまではやる事がありません。
 そんなわけで、スーパーの軒下に並ぶアーケードゲームを眺めていたのですが、これと言ってやりたいものも無く、遠目で数台の筺体を眺めていました。
 並ぶゲーム機には一人の中学生くらいの男の人が何らかをプレイしているくらいで他にプレイヤーはいません。
 ある程度の時間が過ぎ、未だ動かない私の視界にはプレイの終わらない男の人が入っているわけですが、『本当にゲームしているのかな?』と思えるくらいに動作が無く、それでも目線はひたすら画面に落としているようでした。注意深く見ると指先が動いていたので、それはそれでプレイ中を伺わせましたが、単調なパズルゲームでもやっているのかな? くらいに感じていました。
 私の母親は買い物に使う時間が非常に長く、待つ事は慣れっこでしたがそれでも退屈には変わりありません。私の思考はいつの間にか『あの人はどのくらいの時間、ゲームを続けているのだろう?』という疑問を持つようになり、同時にそのくらいの時間ゲームをするとなれば、スコア的にどんな事になっているんだろう? なんて事も思っていました。とにかく続く続く…、お金を追加しないという事はゲームオーバーになっていないという事ですし、まさか園児のようにゲームを理解しないでレバーやボタンをいじって楽しむ年齢でもないでしょう。
 ひたすらゲームを続けるその人に興味を持った中、どうやら私と同じく買い物をする母親を待っていたらしい彼に、買い物袋を幾つかぶら下げた中年の女性が声を掛けました。それは近くで聞かずとも判るやりとりで、
『お待たせ、帰るわよ』
『待って、まだ終わってないんだ』
『早く帰らないと夕御飯の時間が間に合わなくなる』
『いや、…でも、…っていうか、いま声かけないで』
 そんな流れでしょう。やがて母親は人目を気にするささやかな『激怒』を醸し出し、泣く泣くゲームを離れざるを得ない状況が強制的に蓄積されてしまうのです。
 変化はその後、時間を空ける事なく訪れました。くるりと周囲を見回した母親の視界にポカンとやりとりを見ていた私の姿が。漫画のワンシーンで言えば、完全外野のクソガキ役そのものだった事でしょう。いや、そのまんまでした。
 そんな私を捉えると、母親は言ったのです。

『…ほら、あの子、時間があるみたいだからお譲りしましょう』

 何が何でも帰りたいモードの母親には我が子の『夢中』なんてものは眼中にありません。優しい声を出しながらゲームに張り付く彼の背中を引っ張り筺体から引き剥がすと、満面の笑みで私に言います。

『ごめんなさい、私たち時間が無くて…。このゲームの続きをやる? 代わりの人を探しているの』

 隣には完全不服の彼の顔…。そして2人は私の返事を聞く事も無くその場を立ち去ってしまったのです。いや、表現がおかしいですね。『息子の背中を引っ張り続けながら彼女は強引に車の置いてあるだろう駐車場に向かって消えたのでした』…この方がしっくりします。…私なら暴れていたかもしれません。

 まあ、ともかくプレイヤーを失った1942は無人のまま続行されているようで、既に何基か残機を失ったにも拘らずゲームオーバーになっていなかった事が気になってその画面を確認すべく私は筺体に歩み寄りました。そこで目にしたものは…。 残機表示が4機のメチャメチャなスコア…。普通ならこんなスコアは目にする事が無い。…と、断言できるスコアだった事を覚えています。
 そんな画面の確認と同時に一つの思いが…。
『ひょとして、このゲームって凄く簡単なんじゃないの?』
 何面なのかはさっぱりわかりませんが、せっかく空いた1942、暇潰しにとプレイしてみました。すると………
 半端じゃない難しさを確認。少しも進めないままに撃墜される我が機。それよりも驚いたのは何回撃墜されても残機が4のままという事実。相当にストックされている? それとも裏技的何か? でもまあ、スコア見ればそれだけ増えていても不思議はないというか…。とにかく普通じゃ見る事の出来ないシチュエーションだった事は間違いなく、そしてゲーム内部の状況的に明らかな不釣り合いなプレイヤーとして私が君臨してしまった事も間違いなさそうです。何度残機を失っても消える事のない4機表示の残機の壁は確かに厚かったのですが、それでも私という恐るべきプレイヤーの前に壁はあっという間に崩されてしまったらしく、ついには3機、2機、と、その数を減らしていきました。戦争や競争という場面では基本的に奇跡は訪れません。全てが偶然であり、それらの積み重ねが結果を呼び、やがて出来あがったその記憶を差して人は『当然』という認識を深めるのです。だってそうでしょう。既に出来上がった過去を変える事は不可能なわけですから、技術不足の私の結果としては『当然』の敗北だったわけです。
かくして、どれだけ時間を費やした1942だったのかは私にも判りませんが、その素晴らしい結果を5分足らずで打ち消した私が居たという、非常に苦い思い出でした。…まあ、『当然』だったわけです。

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